[復刻版]薄暮攻撃
本, 松村 益二
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[復刻版]薄暮攻撃 - 内容紹介 戦後GHQによって没収・廃棄(=焚書)となった 名著『一等兵戦死』(昭和13年上期 直木賞候補) その翌年に刊行された もう一つの"傑作"従軍記 「この得がたい実験を、他の兵隊さんと同じように、 歳月の塵に埋もらせて忘却の彼方へ流すのは、職掌柄、許されますまい」 支那事変の最前線において 新聞記者の目が見た、日本軍兵士たちの"真実の姿" 昭和12年、中国・上海近郊の戦線で 一等兵たちの壮絶な戦いは続く 「僕は一等兵が好きである。 戦場の一等兵の義理人情は、こよなく美しい。 僕はその生きている美しい一等兵を、 いろいろと描きたいと思った」 ──著者・松村益二 その日彼は斥候に出て右足の甲側に貫通銃創をうけて帰って来たが、地下足袋の上から布ぎれでぎりぎりと 傷口をしばると「うん、大丈夫だ」と薄暮の中の攻撃に参加したのである。 「おれは、薄暮攻撃ということばが好きなんだよ。なんと戦争の暮れらしい、ちょっとした抒情的な味のある、 きれいなことばじゃないか。だから、おれは戦闘に加わる」(中略) 戦闘が終わって、奪取したばかりの壕の中で、彼は衛生兵の手当てをうけていた。 ─薄暮だった、むらさき色の夕ぐれが壕の中に影をおとし、影はだんだん濃くなって行くのである。 彼は下腹部をやられていた。助かる見込みはないのだ。もはや、眼のあたりの力がぬけて、 おちくぼんでいるようにみえ、呼吸は苦しそうだった。 ──本書より 「この本には、前著『一等兵戦死』以後の戦争に関するものを収めた。 これらの作品は、いずれも僕にとっては、生死を的にしての後に生まれたものだけに、すてがたい」 ──本文「著者のメモ」より 内容(「BOOK」データベースより) 支那事変の最前線において新聞記者の目が見た、日本軍兵士たちの"真実の姿"。戦後GHQによって没収・廃棄(=焚書)となった名著『一等兵戦士』(昭和13年上期直木賞候補)その翌年に刊行されたもう一つの"傑作"従軍記。 著者について 松村 益二 (まつむら・えきじ) 大正2(1913)年、徳島市に生まれる。 文化学院文学部卒業後、徳島日日新報社を経て、昭和11(1936)年、毎日新聞社に入社。 昭和12(1937)年、支那事変に応召され、昭和13(1938)年、応召解除。 同年10月には『一等兵戦死』が春秋社から刊行され、同書は昭和13年上期の直木賞候補となる。 昭和19(1944)年、従軍記者としてビルマ戦線へ派遣、昭和21(1946)年に復員。 その後は、徳島新聞社編集局長、徳島日本ポルトガル協会理事、四国放送代表取締役社長などを歴任。 昭和59(1984)年、腎不全のため逝去。享年70。 他著に、『復刻版・一等兵戦死』(ハート出版)、『モラエスつれづれ:松村益二随筆選』(モラエス会)などがある。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 松村/益二 大正2(1913)年、徳島市に生まれる。文化学院文学部卒業後、徳島日日新報社を経て、昭和11(1936)年、毎日新聞社に入社。昭和12(1937)年、支那事変に応召され、昭和13(1938)年、応召解除。同年10月には『一等兵戦死』が春秋社から刊行され、同書は昭和13年上期の直木賞候補となる。昭和19(1944)年、従軍記者としてビルマ戦線へ派遣、昭和21(1946)年に復員。その後は、徳島新聞社編集局長、徳島日本ポルトガル協会理事、四国放送代表取締役社長などを歴任。昭和59(1984)年、腎不全のため逝去。享年70(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
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